2011年04月16日

「そよ風」

信じさせてくれないか
人のぬくもり底力
今は嘆いて逃げてるが
いつかはここに立っている

だからそれまで待ってます
寂しい思いはするけれど
不安で涙も出るけれど
それも試練と耐えるから

疑わなくていいですか
回復したら強くなる
今は暗く沈むけど
いつかは空見て笑えると

だからそれまで生きている
辛い思いはしてるけど
死にたくなっちゃうこともある
だけどこれは怪我だから

今は乾いてないけれど
いつかは"かさぶた"になるから
それまで風を送ります
募金という名のそよ風を
posted by かおり at 17:22| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | poem | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月01日

「これからは」

片付けは捨てることとか収納が大切と言うけれど、私のオススメはもっと単純。
安いからといって余計な物まで買わないこと。物が増えるから片付けが必要になる。いらない物が増え続ける限り片付けの問題は永遠だから。
それにいらない物を買わないにはもう一つ利点がある。それは無駄遣いの防止。
一見安くて買っておけば特のような気がする。でもこういう物はないだろうか?いつか役に立つだろうと、長い間放置されている物が。大抵の場合、その「いつか」はない。結局いらなくて、捨てるしかない物が。
あまりにタンスが汚なくて整理した人が呟いていた。安いからと安易に買った服がゴロゴロ出てきた。あまり着ていないからまだ綺麗な服が。
「これだけのお金があったらもっといいものが買えたのに…」と。
"一円を笑う者は一円に泣く"、そんなことわざがある。
いくら安くてもお金はお金。"安物買いの銭失い"にならないように。これまでなっていたかもだけど。
posted by かおり at 19:48| 大阪 | Comment(2) | TrackBack(0) | かおりのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「愚かでも」

情報は小さな種。それをどうするかは自由。ただ種をながめているのも一つ。大きく育てるのも一つ。どうするかはおのおのの自由。
種に表示してある完成図はたいがいとても美しい。だから手に入れたくて育ててよさそうなものだが…、よく立ちすくみしてしまう。それは、
そこまで育てるには多大な労力と時間がかかる。途中でやめたら枯れて無駄になってしまう。知っているから。綺麗なものは好きだけど育てるのは嫌いだから。
そうやって指をくわえているうちに、もうプランターには入りきらない数の種。それは分かっているなのに、変わらず種を集めることがやめられない。育てられるあてなどないのに。ながめるしかできなくて、悔しさばかりが倍増するだけなのに。
愚かな生き物。それが人間。たとえどんな体になろうとも同じ。
そう。種を集めてしまう、その気持ちは忘れないでいたい。みんなと同じ人間でいたいから。
posted by かおり at 19:47| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | かおりのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「目的を」

できなくてもできているように。意識をすればちゃんと筋肉は働いているから。意識を大切に。
リハビリを受けた時、理学療法士に言われた。
筋肉には600は種類があるという。大きく動き見た目にも動いていることが分かるアウターマッスルはそのほんの一部。ほとんどはそれを深層から支える小さな動きのインナーマッスルらしい。つまり動かそうと意識することも、十分筋肉を動かすことになっているのだ。
それを言われていたのだ。でも、
できないことをすることはとても辛い。泣くほど悔しくもなるし、大きなストレスにもなる。だからその時間、好きになれなかった。
なのにどうだろう?今は自ら進んで動かない太ももを動かそうと頑張れている。
太ももを意識して動かさなくなるとハリがなくなりぶよぶよになる。私も女。どうしても美は意識してしまう。
目的が増えればできた時の喜びは倍増し、たとえできなくてもその辛さは半減する。できなくても意味がないわけじゃないしね。
するのが困難ならば目的を増やしてみよう。人はやりがいで動く生き物だから。
posted by かおり at 19:45| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | かおりのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「それだけで」

たとえ歩けなくてもスタイルは気になる。車椅子に乗っていたとしても、どうでもいい諦めたにはならない。だからエクササイズを求めてよく雑誌を買いに行く。
ところがどうだろう?
あなたは歩けない腹筋のない人の、その体型の保ち方を書いた雑誌のページを見たことがあるだろうか?皆無とは言わないがそれはほとんどない。
書店でそういうたぐいの本を探している時、私はよく寂しさにさいなまれる。世の中から外されているような寂しさに。
でもそれは仕方のないこと。
需要のあってこその供給。車椅子でもスタイルを気にする、私のような少数派にページ数をさいてくれるはずがない。
そう。そうやって「固定観念」はつくられていく。学べる(見る)ものがなく、諦めてしまうことによって。
まずは諦めないことだ。そう気付けば解決法は一つ。雑誌の内容を知識に自分にできるエクササイズをつくること。それは難しいけどある意味楽しい。先駆者になれるんだから。
それに頭を使って考えることは、それだけでカロリーを使う。つまりエクササイズになるんだよ。
posted by かおり at 19:44| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | かおりのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。