2009年11月14日

「ラリー」

人の話を聞く時、私はテニスの後衛のようでありたい。じっくりコースを見極め的確な形で返せる、ワンバウンド、ひと呼吸おいて返せる後衛のようでありたい。これまで自分の思いで決めつける。それと少しでも異なると冷たく話を遮断する、前衛のような人たちの言動にとまどい傷ついてきたから。自分はそうはなりたくない。
人が傷付くポイントは多種多様。単純に一つではない。
だから後衛で、なるべく後ろで見るんだ。どこに返せば相手も自分も傷付かず、よい関係(ラリー)が続いていくポイントを。相手も自分も傷付かず、気持ち良くいられるよい関係(ラリー)のスピードを。
もしかしてそれを見て、いじらしくてイライラする人がいるかもしれない。なかなか終わらない試合は、イライラしてしまうから。
でも本人たちはそれがあったかくて楽しい。ならそれでいいじゃないか。自分たちの空間は自分たちのもの。第三者のものじゃないんだから。

(2009年10月、枚方市民発情報紙LIP掲載)
posted by かおり at 00:28| 大阪 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | かおりのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月01日

「季の歌」

虫の音で 季節の移ろい 感じてた 戻らぬ田舎に 感謝の短歌(ことば)を

待たずとも 意識せずとも 咲き誇る 四つの季節 飾る花々

誕生し 生きてきた日を 思い出し 季節の姿 短き言葉に

描く(えがく)のは 絵画だけじゃ ないんだよ 言葉で示す あなたの心で

理性にて 暑いだ寒いだ 文句付け 移ろう季節に 素直になれぬ

温暖化 ここ日本でも 季節感 消えゆく現実 せめて言葉は

晴と雨 そのバランスこそが 美しい 適度な乾燥 適度な潤い

ほのぼのと 安き言葉で 映し出す 季節のぬくもり 季節の優しさ

言葉にて 頭に映像 描きたい 自然を命を 讃える(たたえる)ために

「季の歌」で 一人百首を 目指したい 叶うかどうか 分からぬけれど

早々と 現実先立ち 描く(かく)季節 心の準備を 余裕をつくって

一年の 計は元旦に ありと言う 新たな季節 心の門出
天空に 願いよ届けと 火を燃やす どんどの祭事に 人の輪つくって

早春や 冬の終わりの 梅の花 桜の花への 目覚ましのベル

山里の 寒の水にも ふきのとう 季節よちよち 千鳥足かな

道端で 春風包んだ ゆきやなぎ 白き顔して 優しく微笑む

雪解けに 力与える 木漏れ日は 冬の雲裂く まぶしき光

はっけよい 三寒四温の 名のもとに 冬と春とが 相撲をとってる

香り立つ 野の花添えて 恋文を あなたに感謝の 想いよ届け

青空に つぼみふくらむ 桜見て 日差しのぬくもり 視覚の触感

桜咲く 入学祝いの 文房具 ささやかながらも きらめくアイテム

木の下で 花より団子で 騒いでる ごめんね桜 綺麗なのにね

夜桜に 月夜を重ねて 空見上げ 散りゆく季節に ほのかな光を

ひらひらと 別れを告げる 桜見て 自然の輪廻の 強さに魅(ひ)かれて

花散って 寂しく見える 桜木に 静かに寄り添う 初夏の陽光

花時計 時間と共に 顔中に 季節の香り 季節の移ろい

五月晴れ 雲を切り裂き のぞく日は ツツジの蜜の 甘さに似ている

しとしとと 五月雨(さみだれ)降らす 天空に 地球の潤い 窓より頼む

紫陽花(あじさい)を のんびり進む かたつむり 今日も生きよう 地に足つけて

赤と青 花の色にて 土の質 リトマスいらずに 示す紫陽花

梅雨空の 暗き空間 照らす日は 暗き世の中 励ます光

お茶の葉の 新芽を摘み取り 煎じてる 命の服用 感謝を込めて

空梅雨は 外出増えるが 困りもの 雨の季節は 雨こそ似合う

優しさを 忘れた季節の 情報に 不安を感じて 身を萎縮する

雨降って 車が増えて うっとうしい そんな私は 自己中心かな

雨上がり 地面にきらめく 陽光は たくまし命に 奏でる賛美

梅雨空の 暗き空気に 少しでも 明るき光を 楽しみ見つけ

晴れ休み 雨の降る日も 必要さ 乾いた大地 潤してるから

梅雨明けの まぶしき朝日映す海 はしゃぐ声色(こわいろ) 静かに待ちわび

海岸に はしゃぐ足音 波あびて はねあげしぶきに 遊ぶ陽光

熱中症 水分だけじゃ 足りないよ 塩分補給も 覚えていてね

海の日に 海への回起 思うのは 海への感謝 忘れないため

うだるよな 太陽の熱 避けるため 渓流見下ろし 風を感じる

夕方に 入道雲が やってきた ほてった大地を 潤すために

寂し気な 休耕田に ひまわりを 米から笑顔へ それも転作

夏空も 今の空気は 暑いとさ 雷鳴き声 豪雨は涙 

ジェット気流 台風速める 偏西風 地球の空気が よどまぬように

里帰り ネオンなどない 里山の 変わらぬ風に 心を癒す

送り火の 古くの伝統 守るため 花火を打ち上げ 人を集める

盆過ぎて 虫の声にも 秋の風 つくつくほうしに ヒグラシの音

虫の音も 月光浴びれば 琴の音に 高貴な調べは 闇でも歌う

残暑の夜 氷食べ食べ 本を読む 生き抜く知識 取り込むために

雨水と 元気な太陽 取り込んで 旬の命を 頭上に抱く

ありがとう 感謝の気持ち 忘れない 年増す喜び 終わったけれど

栗の実の 尊き命を 守るため 剣(つるぎ)を見せて 鎧をその身に

夕暮れの 紅き光を 映す山 命の光へ 感謝の行為

黄道(こうどう)を 四つに隔て 祝うのは 日本だけかい? 季節の宴

台風は 南国生まれの 暴れ馬 自然の猛威 雨と風とで

バイバイと 手を振る楓に 微笑んだ またの出会いを 明るく望んで

広葉樹 一年生きて 腐葉土に 新たな命 育むために

次世代へ くすんだ色でも 伝えたい 命の輝き 命の力

山苺 幼い時に 食べた味 甘くて酸っぱい 淡き思い出

収穫は 初霜降る日を 待ってよう 葉ものの野菜が 美味くなる日を

南瓜(かぼちゃ)食べ 柚子湯(ゆずゆ)に入り 邪気払い 冬至の知恵を 体に刻む

低音で 山里に鳴る 雷は 冬将軍の 太鼓の響き

雪振りは 空の涙さ 嘘じゃない 恥ずかしがり屋で 隠してるけど

日中の 凍えた体を ほぐすため 湯の空間にて 心を伸ばす

年の瀬の 深夜にとどろく 除夜の鐘 高貴な願いは 山をも越えて
posted by かおり at 21:12| 大阪 曇り| Comment(6) | TrackBack(0) | poem | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月30日

「ないものねだり」

壁を越えられないのには理由が二つある。一つは壁にジャンプすること自体が恐い時。もう一つは、ジャンプしても上までとどかない時。前進できないのには理由が二つある。一つは前進すること自体が恐い時。もう一つは、前進する力が足りない時。どちらにしても結果は変わらない。成果は同じ。なのに、
いつもうらやむのは相手。「自惚れ(うぬぼれ)てる」と思われてしまうのが恐くて嫌で、自分を高くなんて評価できない。無理にでもできないことを探し、できないことで比べたがってしまう。どんなに分野が違う人とでも。かなうわけがない人を引っ張り出して。
ないものねだり。少しでも自分を低く見せるためには手段を選ばない。自分をないがしろにすることを美学にしている。
評価というものは他人がするもの。
昔どこかで聞いたこの言葉は、そんな愚かな人間を戒め(いましめ)ているんだろうな。
まあ分かっていてもなかなかやめられないんだけどね。比べることに慣れているから。
posted by かおり at 23:41| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | かおりのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月20日

「根拠なんて」

根は外からは見えない。成長しながら地面の下で大きくなっていく。
つまり根拠なんてはじめから大きくない。大きくなくてもいい。
よく言うのだが、根拠のない自信でいいのだ。自信の根拠なんて、行動しながらついていくものなんだから。行動しなかったら、いつになってもつかないものなんだから。
根拠は後からついてくる。
それが私の持論。根拠で自分の動きを縛り、思うように動けなくならないために。いついかなる時も、自分の空を飛んでいられるように。
根拠は後からついてくる。
誰だってはじめは初心者。いつかは「ベテラン」と呼ばれるために通らなければならない道。行動への自信なんて、自信への根拠なんて、行動しながらつけていくもの。
根拠は後からついてくる。
だから恐がらないで。それに不安になって、歩みを止めないで。誰だって最初は初心者なんだから。
根は外からは見えない。はじめは細く短くても、成長すれば太く長くなる。
posted by かおり at 23:49| 大阪 | Comment(5) | TrackBack(0) | かおりのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月13日

「序曲」

誰かに渡されるものでなく
自分で探すものだから
誰かに求めるものでなく
自分でつかむものだから

だからそこに力があり
そこに光がある
だからそこに希望があり
そこに経験がある

誰かにもらうものでなく
自分で探すものだから
誰かに頼むものでなく
自分でつかむものだから

だからそこに証があり
そこに自分がある
だからそこに進歩があり
そこに前進がある

夢へ向かうために今を
愛へ向かうために今を
未来への序曲を
誰のためのものでもない
自分のための序曲を
posted by かおり at 23:30| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | poem | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「笑えてるから」

諦めたらもう終わりだから
諦めの悪い奴でいる
諦めたらもう進まないから
諦めてなんかやらない

そうやって生きてきたから
そうすることしか知らない
そうやって生きてきたから
そうすることしか選べない

しんどくないかい?言われるけれど
笑えてるからなんとかなるさ
しんどくないかい?問われるけれど
笑えてるからまだまだいけるさ

うつむいたらもう終わりだから
無理でも前を向こう
うつむいたらもう進まないから
無理でもうつむいてやらない

そうやって生きてきたから
そうすることしか知らない
そうやって生きてきたから
そうすることしか選べない

大丈夫かい?言われるけれど
笑えてるからなんとかなるさ
大丈夫かい?問われるけれど
笑えてるからまだまだいけるさ

終わらないため笑おうよ
止まらないため笑おうよ
笑えてるからしんどくない
笑えてるから大丈夫
posted by かおり at 23:30| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | poem | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月05日

「かわいそう」

「かわいそう(可哀想)」という言葉はただの自己満足。その言葉を発することで、さも相手のことを考えているように見せてはいるが、本当は自分のことしか考えていない言葉。
なぜなら、その言葉は相手を蔑(さげす)んでいる言葉だから。自分より下に見ている言葉だから。その人はその人で自分を精一杯生きている。なのにそれを無視し、外からの勝手な判断で決めつける言葉だから。そしてそうすることによって、自分をなぐさめようとする言葉だから。「もっと下はいる」と。
何故この言葉が日本語にあるか、言語学者でない私にはわからない。もしかしたらそこには、深い深いわけがあるのかもしれない。だからあまりやいやいは言えない。だけど…、
治ることのない進行性の難病、それによる障害をこの身に受け、この「かわいそう(可哀想)」という言葉を、しょっちゅう受けるようになり強く思う。誰が何と言おうが嫌なものは我慢しないでいよう。蔑まれる感覚。そんなの冗談じゃない。
誰だって誰かをなぐさめるために、必死に生きているんじゃないんだよ。

(2009年9月枚方市民発情報紙LIP掲載)
posted by かおり at 22:36| 大阪 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | かおりのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月26日

「つかもう」

どんなに強固な石橋だって叩きすぎると壊れる。そうなると前進する対岸へ行けず、指をくわえて先を見ることしかできなくなる。道がなくなってしまうのだから。
でも不安を緩和するために慎重になることは必要。考え不足で失敗してしまうなんて格好悪いから。後悔としていつまでも残ってしまうから。だから叩いてしまう。安全とは分かっている石橋でも。時間をロスすることになってしまっても。周りをイライラさせてしまうことになっても。安心のために。考え不足を馬鹿にされないために。
その気持ちはよく分かるし、自分もそうしてきたからそれをどうこうは言えない。だけど…、
経験してきたから言える。石橋だって叩きすぎると壊れる。壊れたら動けなくなる。指をくわえるしかできなくなってしまう。そうならないためには、勇気を出して叩きすぎる前に渡るしかない。
だから今からでもつかもう。もしも落ちたとしても助け合いのできる、命綱を持ち合える仲間を。
posted by かおり at 22:03| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | かおりのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「車止め」

あれもこれもと求め続けていると、満足することができなくなる。喜ぶことができなくなる。あらを探すしかできない、そんなつまらない人間になってしまう。
薬がそうでしょう?劇的に効果のあるものであるほど、そのよりもどしとして副作用は強い。変化に体がついていけないから。
変化(改善)を求める時人はいつも、「すぐ」を求めてしまう。安易に「劇的」を求め、そうでないならすぐ排除しようとする。その結果には責任から目を反らし。
大切なのは後退、悪化させないこと。放っておくと悪化への道へ転落する現状。その車止めに必死になってくれている人に感謝すること。前進しない、と文句を言うことじゃない。車止めは、これ以上の悪化を食い止めることを必要とされている。
車止めができなければ前進などできない。あれやこれやを求める前に、そう(車止め)であることを認めなきゃね。満足しないのは失礼だよ。
その上でこれからを、共に歩もうとしていかなきゃ。
posted by かおり at 22:02| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | かおりのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月25日

「腐葉土にも」

広葉樹の葉は一年間は木に付いて生き、命尽きて枯れて落ちた後はバクテリアに力を借りて堆肥(たいひ)になる。そして鮮やかな、新たな命が育つのを支える。
人には理性があり自我があり、何を言われても自分がかわいい。だからどうしても思ってしまうんだよね。誰かのためになんて言われると、
そんなのうざったい!
って。
そんなの冗談じゃない!
って。
利用されないように肩に力を入れて、たまに疲れて倒れかかっていることもある。そしてそれに気付きながら、気付かないふりをしていることも。
次世代へ くすんだ色でも 伝えたい 命の輝き 命の力
太古から続く、大自然の命のリレーにならうことができたならもっとあったかい、誰もが犠牲になることなく育つ世の中になっていただろう。なることができるだろう。
でも理性のある人間にはきっと腐葉土にも必要なんだ。大切にされること。自分をないがしろにしてもかまわない、そんな仏になれる人ばかりじゃないんだから。
posted by かおり at 22:00| 大阪 晴れ| Comment(2) | TrackBack(0) | かおりのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする